「NHKはスクランブルをかけろ」では解決しない…国民を苦しめる受信料問題の最もシンプルな解決法
そもそも公共の電波なのに「受信料を払え」がおかしい
有馬 哲夫 んの記事です!
早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授(公文書研究)
2023/05/01(月) PRESIDENT Onlineさんの記事です!
NHKの受信料に反対する人の中に、スクランブル化を望む声がある。『NHK受信料の研究』(新潮新書)の著書がある早稲田大学社会科学部の有馬哲夫教授は「国民の受信の権利、そして知る権利に反するのでスクランブル化はすべきではない。最もシンプルな解決法は、受信料を廃止することだ」という――。
NHKをスクランブル化できない2つの理由
NHKの受信料が問題になると、よく耳にするのは「NHKはスクランブルをかけて、受信料を払いたくない人は受信できないようにすればいい」という主張である。ご存じのように、旧NHK党の立花孝志氏や自民党の小野田紀美議員がこのように唱えている。
ポピュリストというものは、目先の利益で釣って、その先の究極的利益については思考停止させる。また、手間と時間のかかること、わかりにくい複雑なことは避け、単純で手っ取り早い「解決策」に見えるものを示す。
だから、彼らのいうことに耳を貸すべきではない。
NHKの放送にスクランブルをかけるべきでないし、かけられない。その理由は2つある。
1つ目は「公共の電波」という原則に反するということだ。
2つ目はスクランブルをかければ、自ら存在理由とした「あまねく全国に放送する」が否定されるので、NHKにはできないということだ。
実は、受信料廃止のほうがハードルは低い
スクランブル化とは、放送電波を暗号化して、解読する装置がないとテレビで番組が見られないようにする仕組みだ。つまり、受信料を払う世帯のみが放送を視聴することができる。
ポピュリストは放送制度について知らないのでスルーするが、スクランブルをかけることで、われわれは当然得られるべき利益が得られなくなる。
また、ポピュリストは、放送法の改定など、面倒くさそうなことを敬遠する。だが、実際は、放送法上も、そしてNHKにとっても、スクランブルをかけるより、放送法の受信契約義務規定をなくし、受信料を廃止するほうが、ハードルが低い。
したがって、意外かもしれないが、「スクランブルをかけろ」ではなくストレートに「受信料を廃止せよ」が正しい。これを放送法の成立過程も振り返りながら明らかにしていこう。
「公共の電波」は「知る権利」と結びつく
まず、「公共の電波」の原則に反するという点から説明しよう。世界で公共放送がスクランブルをかけている例は、私の知る限りない。おそらくないだろう。なぜならば、それは「公共の電波」という原則、受信の自由、受信の権利、そして知る権利に反するからだ。
電波(本稿では地上波のこと)は誰のものでもない、みんなのものである。だが、みんなが使うと混線してしまって使えなくなるので、特定の放送事業者に放送を許し、免許を与える。そのかわり、放送事業者は「公共の利益」に資する、偏向のない放送サービスを電波の届く範囲の地域住民に提供する義務がある(あるいはオークションにかけて売って、収入を地域住民のために使ってもいい)。
スクランブルをかけること、すなわち、ある人には放送サービスを届け、ある人には届けないというのは「公共の電波」の原則に反するのだ。
スイスなどでは、これは知る権利と強く結びつけられ、参政権にもかかわっていると考えられている。ドイツもしかりだ。だから、彼らからすれば「スクランブルをかけて、受信できないようにしてくれ」は愚民がいうことだ。自らの権利を放棄するかどうかは当人が決めればいいことで、わざわざスクランブルをかけるまでもない。
お金を払っていない人にも受信の権利はある
もちろん、問題なのは、その放送サービスに料金を払うべきかどうかだ。結論からいうと、「公共の電波」を使わせているのだから、地域住民が放送サービスを受けるのは当然で、受信料など払う必要はない。事実、民放は受信料を取らないし、公共放送であっても、広告を入れたり、無料化したりする国は少なくない。
地域住民には受信の自由があり、受信の権利があるのだから、料金を取るべきではない。みんなの電波を使っているのに、料金を払える人々だけが受信の自由があり、受信の権利があるというのはおかしいからだ。
驚くかもしれないが、これは占領中に放送法の制定に関わっていた時、GHQの民間通信局や民間情報教育局の将校たちが日本に持ち込もうとした考え方だ。
彼らは、それまでの受信届け出制を自由受信制に変えた。つまり、終戦までの日本では放送を受信するためには、お上に届け出を出し、許可をもらわなければならなかったが、これを、届け出不要で、自由に受信できるように変えたのだ。
GHQはNHKの受信料徴収に反対した
これは大改革だが、アメリカ化だった。アメリカでは放送の最初から受信者は自由に放送を受信でき、放送局は受信者からお金を取るのではなく、広告収入で経営をまかなってきた。
この大改革で困ったのはNHKだ。それまでの受信届け出制によってラジオの所有者が特定でき、受信料を容易に徴収できたが、これ以降はできなくなる。アメリカのように広告を入れればいいのかもしれないが、それまでのNHKはそんなとはやったことがなかった。
そこで一計を案じて、ラジオを持っていればNHKと受信契約し、受信料を払わなければならないと法律で決めることにした。憲法の定める契約の自由に反するが、こうすれば、受信の届け出がなくとも受信料を確実に取れることになる。
だが、GHQは法律によって受信契約を義務付け、受信料を取るという考えに反対した。憲法違反以前に、そもそもアメリカでは受信料を取る放送事業者などないからだ。しかもアメリカの放送局は、広告こそ流すものの「公共の電波」を使う以上、次の4原則を順守し、公共の利益に資することが義務付けられていた。この意味で民放といえども「公共放送」だった。
放送法の目的はNHKの独占を打破すること
一 公序良俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 事実を偽らないこと。
四 対立する意見があるときはなるべく多くの見方を示すこと。
これは現在の放送法第4条とほぼ同じだが、それもそのはずでこの法律を作ったGHQ民間通信局課長代理のクリントン・ファイスナーが放送法制定の時に持ち込んだものだ。
GHQは、このような放送局、つまり広告を収入源とするが、4原則を守る民放を日本に誕生させ、増やそうと考えた。放送が多元化すれば、戦前・戦中のような権力による放送の独占はしにくくなるからだ。これが、放送法を制定させた動機だ。
放送法とは、当時唯一の放送事業者であったNHKの独占状態を打破し、公共の利益になる放送事業を行おうとする民間事業者に免許を与えること、そのかわりとして免許事業者に一定のルールを課すことを目的としたものだ。だから4原則を定めた第4条はNHKだけでなく民放にも適用されるのだ。
民放と同じく、NHKは料金を取ってはならない
このような背景から、GHQはNHKだけに受信料を徴収する特権を与えることに終始反対した。彼らから見ればNHKも民放も「公共の電波」を使い「公共の利益」に資する放送を義務付けられているので「公共放送」なのだ。そして、「公共の電波」を使わせてもらっている以上、民放だけでなく、NHKも料金を取ってはならないのだ。
維持費が必要なら、寄付を募り、足りない分は地方自治体からの交付金でまかなえばいいとGHQはいった。アメリカでは教育・宗教系の放送局にこのような経営方式をとるものが多い。しかし、いろいろなやり取りがあったあと、当座の便法として、放送法によって受信契約を義務付けるが、受信料の支払いはNHKの「受信契約規定」で義務付けるという、現在の矛盾した形に落ち着いた。
そのかわりGHQは、NHKにテレビの参入を禁じ、日本テレビなど民放だけに許す方針を決めた。こうすれば、テレビの時代になればNHKは衰退し、受信料は下がり、問題ではなくなると思ったのだ(だが、1952年に占領が終わると、当時の吉田茂総理大臣は、GHQのこの方針を覆し、NHKにもテレビ放送を許した)。
世界の公共放送で進む「受信料離れ」
ちなみにGHQと同じ考えは、イタリア、フランス、中国、韓国、などにも見られる。これらの国々では公共放送であっても広告を流している。ニュージーランドは受信料を廃止して、公共放送を民営化した。オーストラリアは公共放送の受信料を廃止し、国からの交付金で存続させている。イギリスも近い将来BBCの許可料を無料化するだろう。
公共放送は、広告を流してはいけない、すべて受信料で運営をまかなうべきだ、というNHKの主張は、かつても今も世界の常識ではない。
したがって、「NHKはスクランブルをかけろ」という主張は正しくない。GHQがそうしようとしたようにストレートに「受信料は無料にせよ」というべきだ。
NHKの役割は「あまねく全国で受信できる」
2つ目の「スクランブルをかければNHKの存在意義が失われる」の話に移ろう。
ポピュリストは、放送法を理解できていないので、NHKにとって「スクランブルをかけろ」より「無料にせよ」のほうが難しいと勝手に思い込んでいる。実際には「スクランブルをかけろ」のほうが難しい。
放送法上は、受信料をタダにしてもNHKの存在意義にはかかわらないが、スクランブルをかけることは、大いにかかわるのだ。というのも現在の放送法はNHKの目的を次のように規定しているからだ。
第十五条 協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送(国内放送である基幹放送をいう。以下同じ。)を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。
要するに、「あまねく全国において受信できる」のがNHKの存在意義なのだ。1949年の閣議決定された放送法では、もっとシンプルにこう規定されていた。
第7条 日本放送協会は、公共の福祉のために、あまねく全国において受信できるように放送を行うことを目的とする。
「スクランブル化=存在意義の否定」に
実際、これまでNHKは、離島や山間地まで電波のリレー網を整備し、難視聴地域をなくすために受信料を原資として莫大な投資を使ってきた。これは受信料を徴収しない民放には課されなかった使命だ。
民放は東京にあるキー局が、経営上独立の系列局に放送コンテンツを送ってネットワーク放送している。系列局は全県にあるわけではなく、全国放送しているわけではない。そして、「あまねく全国において受信できる」ことを義務付けられてはいない。
放送法上は、そして最高裁の受信料判決でも、広告の有無とともに、これがNHKと民放の根本的違いとされている。
そうである以上、受信料で作った放送インフラを所有しながらも、NHKが「公共の電波」にスクランブルをかけて、地域住民が受信できないようにすることは、存在意義を自ら否定することになる。
民放でさえスクランブル化はできない
実は「あまねく全国において受信できる」ことを義務付けられていない民放でさえ、スクランブルをかけることはできない。
「公共の電波」を使っている以上、受信の自由、受信の権利、知る権利に応えなければならないからだ。番組編成上も、ドラマやお笑い番組だけでなく、クイズ番組などの教養番組、ニュースや天気予報のような情報番組も含めるなど地域住民のニーズに応える「総合編成」にしなければならない。
こういった義務が免除されるのはWOWOWのような衛星波を使った有料放送だけだ。衛星波は、一般国民は使えず、衛星など設備を持つものだけが使えるからだ。
NHKは需要に見合った規模に縮小せよ
したがって、繰り返すが「スクランブルをかけろ」ではなく、シンプルに「受信料は廃止せよ」が正しい。そして、世界はこの方向に向かっている。
つまり、放送は、公共放送も民放と同じように、広告を流して無料にする、そして放送コンテンツを徐々にネットに移し、こちらはサブスク料を取る。広告料とサブスク料で足りなければ、国が補助金を出す。その前に、このような収入でもやっていける規模になるまでNHKを徹底的にダウンサイジングしていく。
NHKは、ネットで「あまねく日本全国に」コンテンツを届けられるので、もう全国的放送インフラを維持する必要はない。受信料を取る正当な理由はもはやない。
放送に関していえば、これまでのような全県に直営局を持つのではなく、民放と同じように、経営上独立の地方局とキー局から成る緩やかなネットワークになればいい。したがって今のような巨大組織である必要はなく、地方各局が収入に見合った規模で単独でやっていけばいい。
もともとGHQはこのような民放ネットワークと同じような放送ネットワークにしようと考えていた。だが、その方針を、受信料強制徴収に凝り固まった通信官僚とNHKが覆したのだ。
NHKは昔も今も「受信料を無料にして、放送サービスを提供する」ことができる。放送法の受信契約義務規定など関連条項を削除し、しっかり組織のダウンサイジングをすればいいだけだ。日本国民の半分近くがNHK総合放送を1週間に5分も見ていないのだから、それに見合った規模にすればいい。国民が民意を示せば、それは不可能ではない。
NHKが可哀そうだという人もいるかもしれない。だが、これは国鉄、郵政、大手銀行、東芝も通ってきた道だ。