通貨高はことほど左様に製造業の内製化を妨げるという作用があります。

祖国復帰50年 米国とも太いパイプ持つ「注目の沖縄」 戦後通貨「強いB円」に学ぶ経済の変遷 今こそ円安を好機に

2022.5/18

 

www.zakzak.co.jp

 

1972年に沖縄が祖国に復帰して、一昨日の日曜日(15日)で50年となりました。私も沖縄に出張し、復帰50年記念式典などを取材しつつ、昨日は那覇から生放送してきました。

 

今回の取材・放送に向けて、改めて戦後の歴史を振り返り、当時を知る方々にインタビューを行いました。そのなかで、あまり知られていない戦争終結直後から返還までの沖縄経済の変遷も知ることができました。

 

今に続く沖縄経済の製造業の弱さ、第3次産業依存、この原因の1つとして指摘されているのが「戦後の通貨政策」です。

 

46年4月、米軍政府は沖縄での法定通貨をB型軍票(B円)とし、旧日本円との通貨交換を実施しました。この際のレートが、1ドル=120B円と、当時のドル円公定レート1ドル=360円(固定相場制)と比較すると3倍のB円高に設定されました。

 

この〝強いB円〟は、本土からの物資の輸入には非常に有利でした。終戦直後、輸入資材により施設整備を進めたい米軍の意向が働いたともいわれます。安価な輸入品が出回ることで県民生活を支える意味はありましたが、長期的に見れば地場産業を育てるよりも輸入した方が有利となり、結果他県と比べ製造業の裾野が見劣る遠因を作り出したことは否定できません。

 

その後、法定通貨はB円から米ドルへ変遷します。通貨流通量の差配は米系銀行に委ねられたものの、発券機能はなかったので資金不足は貿易で外貨を獲得することが必要でした。ところが、B円時代から輸出産業が脆弱(ぜいじゃく)な沖縄経済は、基地の土地使用料収入や日本政府からの財政援助に頼るほかありませんでした。

 

昨今、〝悪い円安〟と通貨安の弊害ばかりが言われますが、一方で戦後の沖縄経済を見れば分かる通り、通貨高はことほど左様に製造業の内製化を妨げるという作用があります。

 

リーマンショック後の超円高時代に、製造業がこぞって中国や東南アジアなどに移転、日本国内の産業空洞化が問題になったのをご記憶の方も多いでしょう。

 

現在は、当時海外へ投資した分の配当などの収益で経常収支黒字を支えているわけですが、内需が期待できない国内への投資には回らず、そのまま海外で再投資されています。

 

急激な通貨変動は問題ですが、この円安を奇貨として新たな産業を興し、海外へと打って出ていくには絶好の機会といえるかもしれません。

 

「インベスト・イン・キシダ(=岸田に投資せよ)」と呼びかけた岸田政権ですが、海外からの投資や国内の預貯金残高など他人の財布を当てにする前に、政府自ら打って出る投資を見せてくれれば、民需も続くかもしれません。

 

そして、その時に経済発展著しいアジアにも近く、歴史的に米国ともパイプの太い沖縄は地理的にも「注目の土地」となる可能性を秘めています。

 

飯田浩司(いいだ・こうじ)さんの記事でした!

1981年、神奈川県生まれ。2004年、横浜国立大学卒業後、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。ニュース番組のパーソナリティーとして、政治・経済から国際問題まで取材する。現在、「飯田浩司のOK!COZY UP!」(月~金曜朝6―8時)を担当。趣味は野球観戦(阪神ファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書など。

 

 

 

 

 

 

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